院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


ピアノ〜「美しい私」への遠い道のり



趣味として、ピアノをとりあげることは、私にとってかなり勇気のいることである。清水の舞台から飛び降りる覚悟といってもいい。ピアノは私の趣味であって、けして特技ではない、と始めにお断りしておく。いつになく弱気な私だが、これは無理からぬことである。なぜなら私がピアノを始めたのは、昨年の九月からで、過去に約一年半習っていたことがあるとはいえ、小学生の頃のこと。初心者同然で始めたからである。しかも、まったくの独学である。好き勝手に弾いている。ピアノが趣味だと書くと「本人はヘタだって謙遜しているけど、実はかなり弾き込んでいて、スラスラと弾けたりして」と勘違いする読者の方がいるかも、と想像するだけで、私の耳たぶは真っ赤になり、隠れる穴がないのであれば、掘ってでも入りたい心境になる。
 そもそも私がピアノを始めたきっかけは、コミック本の「ピアノの森」や「のだめカンタービレ」を読んで、「ピアノが弾けると、ちょっとカッコいいかも。」といった安易なもので、その不遜な動機からして実力はおして知るべしなのである。息子の弾くピアノ(彼は十年近くピアノを習っている)に難癖をつけていると、「じゃあ、お父さん弾いてみてよ。」と言われ悔しい思いをしたことも、不純な動機に一役買っている。けっしてピアノ曲やピアノの音色そのものが好きだからという純粋な気持ちから始めたわけではない。そのせいかも知れないが、私のピアノは少々品がない。でもいいのだ!私の目指すものは、「美しいピアノ曲を弾く私」ではなく「ピアノを弾く美しい私」なのだから。
 しかし「美しい私」への道のりは遠く厳しい。まず基礎が出来ていないので、譜読みが遅々として進まず、運指もままならない。三連譜などが出てくるとパニックになり、十六分音符やトリルなどに遭遇すると、「指がつるだろうガッ!」と悪態をつく。端で見ていると情けなく不格好きわまりない。しかし、独学ではあるが、私には強い味方がいる。パソコンだ。ピアノのキーボードは初心者でも、コンピュータのキーボードは二十年以上のキャリアがある。まず練習している曲のMIDIファイル(コンピュータで曲を扱うときの一般的ファイル形式)をネットからダウンロード。それを譜面におこして、弾けない部分をコンピュータや電子ピアノに弾かせたり、テンポを落としてじっくり練習したりすることが出来る。どの鍵盤を押せばいいのかもすぐに分かる。正統なピアノ弾きからすれば、はなはだ邪道な練習方法であろうが、四十代半ばを過ぎると、もう時間がない。悠長なことは言っていられない。息子に卑怯とののしられながらも、私は私の道を行く。
 あきっぽい私が、もうすでに半年も続いているということは、やはりピアノは弾いていて楽しいのである。そして最近自分のピアノについてある種ふっきれた感情、悟りを開いたと言っても過言ではない心境に至った事を、恥を顧みず告白せねばなるまい。ヘタだヘタだとは言っていても、毎日の練習によってある程度は弾けるようにはなるもので、「ようし、今年の忘年会は私のピアノの独演会だ!」と今考えると赤面ものの気炎を上げていた頃、息子のピアノの先生(彼は演奏家として超一流だと思う)に、「この曲練習しているんですけど、ちょっと弾いてみてもらえます?」と頼んだところ、二つ返事で弾いてくれた。粒が揃っていて、転がるように次々と繰り出される魔法の音色。何という透明で表情豊かなピアノだ。ある時は鍵盤に吸い付くように、ある時は軽やかに跳ね上がる繊細な指。私のピアノとは雲泥の差である。もはや比べる事すら恥ずかしい。細君は、「あなたが練習している曲と同じ曲だとは、最後まで気づかなかったわ。」と痛烈な一言。楽天家の私でも二、三日はその曲を練習する気になれなかった。しかし私は大人だ。それなりの処世術を身につけている。発想の転換である。世の中、ピアノを弾く人は無数にいるが、芸術の閾に踏み込んで、人に聞かせるピアノを弾ける人はほんの一握りだ。その他大勢の人は、自己満足にすぎない。自己満足派が大多数であるならば、私もその末席を汚させてもらって、堂々と「趣味でピアノ弾いています。」と言えるのではなかろうか。言うだけ言っておいて、自分のピアノを人に聞かせなければいいのだ。そうすれば、「ピアノが趣味だと言っているけど、たいしたことないわね。」とか「小学生の演奏会を思い出すピアノね。」などと中傷される事も、耳を真っ赤にして隠れる穴を探す必要もない。人に聞かせるピアノではなく、弾いて楽しいピアノ。ひたすら自己満足の頂点を目指すピアノ。「美しい私」も自分の中で完結していれば、それで十分である。
 さて、私には十分な自己満足のピアノだが、毎日毎日、同じフレーズをヘタなピアノで聞かされる家族にはたまったものではないらしい。自己満足と開き直っているから、何を言ってものれんに腕押し。趣味としては比較的高尚なので、面と向かってはやめろとは言えないらしい。私が当直で家をあけた翌日、細君が「昨日は静かで、騒音も聞こえず、ぐっすり眠れたわ。」と効果のない皮肉を言うくらいだ。いつかどうしてもピアノを弾かなければいけない状況に追い込まれた時「仕方ないなあ。では、アシュケナージのように華やかには弾けないけれど、ポリーニのタッチで弾いてみようか。」などと言いつつ、ショパンの曲をさらりと弾く「美しい私」。そんな妄想を抱きつつ今日もピアノに向かっている私である


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